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どう考えてもわからない『勇気与えた』

さくらももこさんが乳がんで死去したという突然のニュースに驚いた。

関連して、乳がんを公表した芸能人についても改めて触れられている記事を目にする。

昨年亡くなった小林麻央さんもその一人だが、またしても『麻央さんには日本のみならず世界中が勇気を与えられた』などと書かれてあったりする。

 

7月30日のこのブログでも触れたが、なぜ麻央さんのブログで『勇気を与えられる』のか、私にはさっぱり理解できない。

 

麻央さんの治療の経過についてはご本人や家族が詳しく公表しておらず、専ら雑誌の取材によるところが大きいようだが、結局のところ、西洋医療に頼らず怪しげな民間療法に走った挙句手遅れになり命を落とした、という印象である。

麻央さんのブログには、私の記憶にある限りでは、ガン患者の参考になるようなことはほとんど書かれてなかったと思う。あの時こうしていたら・・という後悔の念が書かれていた記事はあったが、世間に対して『私のようにはならないで!』と啓発するようなものでもなかった。

 

著名人だから、若いから、美しいから、小さな子供が居るから、そんな理由で美談にされているようにしか思えず、彼女のブログで同情の涙を流した人は沢山居たであろうが、なにをもって『勇気を与えた』のか、私にはどうしてもわからないのである。

同じ病気で苦しむ人にとっては、『勇気』どころか『絶望を与えた』と言っても過言ではないとさえ思えるのだ。

闘病している人のブログで勇気を与えたいのなら、病気が治らなければ意味がない。ましてや亡くなってしまったとしたら、『勇気を与える』という意味においては最悪だ。

 

前にも書いたが、勇気を与えるのは地獄の淵から生還したような人の記録であって、たいした治療もできずにみすみす命を落としたような人の記録ではないのでは?

 

私は、麻央さんにはなんの恨みもなく、好きでも嫌いでもなく、乳がんの件があるまで全く興味がなかった。

それでもブログを読んでいたのは、申し訳ないが単なる興味からである。

幼いお子さんが居るので気の毒だとは思っていたが、果たして元気になれるのかはたまた訃報を聞くことになるのか、そこに興味があっただけである。すごい数の閲覧数を得ていたようだが、大半の読者は私のような人だったのではないかと推測する。

 

誤解のないように願いたいが、私は麻央さんを貶めるつもりは全くない。

誰がどんなブログを書こうと、他人に迷惑をかけない限り自由である。

麻央さんが書きたかったから書いたブログを尊重したいと思う。

ただ、それをマスコミが『勇気を与えた』と言うことに違和感があるのだ。

このブログのどの部分がどんな人にどのように『勇気を与えた』のか、是非教えて欲しい。